千葉はなちゃんの思い出 ~~天に愛された運命の歌声~~
こんなに癒される声、聞いたことないーーー。はなちゃんの歌声をはじめて聞いた時、そう思った。癒されるだけじゃなくて洒落ていた。ニューヨークにもパリにも、こんな都会的なシンガーはいないんじゃないかというくらい。本人は全然気取ってなくて「おらは富山から出てきた田舎もんだからよ」なんておどける。だけどその歌は極めて垢抜けていた。少女のように純粋で、そのくせどこか達観した悲しみを湛えた大人の歌声だった。
はなちゃんには銀座のジャズクラブBARBRAで出会い、六本木のALL OF ME CLUBで再会した。はなちゃんは小さいから、私をいつも見上げて、でもお姉さんみたいにやさしく話しかけてくれた。病気で漫画が書けなくなって歌を始めたといったら、へたくそな私の歌を「声が素敵」とほめてくれて、自分の出番のあとに歌ってみたらと背中を押してくれた。
はなちゃんはメジャーデビューして遠い人になってしまったあとも、ずっと連絡をくれて、ライブに招待してくれて、難病に悩む私を励ましてくれた。優しくて歌が上手いだけじゃなくて、作詞やイラストでもずば抜けていた。絵や文でご飯を食べているわたしから見ても舌を巻くくらいの才能がはなちゃんにはあった。
だから当然のこととしてどんどん有名になっていったけど、はなちゃんはお高くなることなんて決してなかった。その歌声と同じように優しい心で連絡をくれつづけ、いつも私の心に染み込んで癒してくれた。
まさかそのはなちゃんが、がんになって私より早く逝ってしまうなんてーー。
はなちゃんは四月八日のお花まつりの日に天国に昇った。桜が咲き乱れるその日に、「羊毛とおはな」の記念日に決めたその日、はなちゃんの歌声がFMに流れているその時に息を引き取ったときいたとき、桜吹雪の中を笑顔でくるくる踊りながら、青空に溶けていく姿が見えたような気がした。そのあまりに出来すぎた幕引きが、彼女の才能を、やっぱり特別な人なんだったと、天に選ばれた歌声だったんだと、証明しているように思えた。
お葬式の時もずっと涙が止まらなかったけれど、はなちゃんの「私の肉体は消えても、歌声は消えません」というメッセージを聞いて、本当にそうだ。はなちゃんは特別な歌手として、その歌声が永遠に記憶される天使になったのだと思った。はなちゃんともう会えないことはつらいけど、はなちゃんが頑張ったことやその優しさは、記録された歌声になって永遠に私たちのそばにいてくれる。
千葉はなちゃん、素晴らしい歌と優しい思い出をたくさんありがとう。これからもずっと、永遠にその歌声でみんなを癒してくださいね。
私ははなちゃんの優しさを決して忘れません。病気はつらいけど、はなちゃんが応援してくれたんだもの、もう少しガンバってみる。いつか私も天国に行く。だからまた会えるよね。死ぬまで歌っても私は、はなちゃんみたいに歌えるようにはきっとならない。だからその時もへたくそだと思うけど、天国のライブハウスでまた、はなちゃんのあとか前座で、一曲歌わせてくださいね。それから「おまもりのうた」を一緒に歌ってね。はなちゃんのこの歌が私は大好きで、いつも口ずさんでいるんだよ。
さかもと未明